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弥栄の烏(守りたいものはなに?)1-6

第一部最後の巻。玉依姫の物語の山内側から見たお話。
人間側からみえる出来事と、山内側から見える出来事。
セットになって初めて全体像がみえる。
で、読み返すとさらに「あー、この時はこっちでこんなことが…」と沼っていく…。

ここでも真赭の薄がステキだ。身近な人に拒絶されながらも自分の想いを貫くって大変なことなのに、やりとげる芯の強さが本当にカッコいい。

「たとえ何を棄てたとしてもー自分が。」

父の代わりに、自分が、愛する家族と故郷を、守らなければならない。

雪哉は本当に家族を大切にしている。今までの巻でも、兄や弟をたてるためにぼんくら次男をしていたし、小梅とのあれこれの時は養母(梓)が手を尽くしてくれた。物心ついた時から自分の置かれた立場を理解して、冷静に受け入れて行動している。自分が信用できる、心を許せる、絶対的な場所というのが家族なのかな。それが、後々…。

「自覚だけが最後の砦だ。自分が何者か、忘れるなよ」

自分の存在の基盤にある根っこをかじってしまったら、それまでの形ではいられなくなったのかもしれない。仙人蓋のように…。

それが、ひとならざるものが人を喰うということは、一瞬の畏怖によって力を得る代わりに、その滅亡が確定するということだ。「化け物は必ず倒される運命にある」一度捨てたものはもう、とりもどせないんだ

ってあったけど、一度踏み出してしまえば今までの自分でいられないラインは明確にある。それを、知らず知らずに超えてしまうのか、意思を持って超えるのか、違うように見えるけど、超えたことには変わりない。

それは、日常でもそうなんだと思う。超えてはいけない一線が見えていればいい。でも、「知らなかった」で超えてしまい、もう元に戻れないことが目に付くような気がする。便利な世の中になった功罪なんかな。つい、見栄をはってしまったり大きく見積もってしまったりする。失望されたくないし、いい人と思われたい欲が前面に出てしまって…。それが後々自分の首をしめることをわかっているのに。アラフィフになってもこんなことを思っているなんて、そろそろ自分を受け入れないといけないよな。

「割り切らずにどうする。俺たちがめそめそ泣いたところで、死人は行き帰りはしないんだ」

「そういう減らず口を叩いているとな、お前、いつか本当に友達なくすぞ」

「まって、茂さんにそれを言われると、俺、あんまり笑えないんだけど 。まあ、茂さんがそういうのなら、気を付けることにするよ」

それは、大柄な体をまるめるようにして横たわる、ひとつの焼死体だった。

「母親か」と言われるぐらい世話焼きの、雪哉にとってはもう家族の一員のようなものだった茂さんが、ほんのちょっと前まで何気ない話をしていたのに、突然遺体となった。

正気とは思えない状態を打破したのは市柳。やっぱり同郷の先輩はここぞというところで頼りになる。

心は号泣だろうけど。それが、「割り切らずにどうする」だもん。嘆くことを許さないような、嘆くことで現実から目をそらしているのか、認めたくないのか…。

正気を失っているときから次に涙を流したのは紫苑の宮を見た時。「ああ、夏だ」と。なんと、1年後。それほど、どうすることもできない出来事だったんだ。

友人の死って、どうしても現実感がない。数年前に同じ年の友人が亡くなった。霊柩車を見送った瞬間に泣き崩れてしまった。それまでは普通に立っていたのに…。まだ、子どもの話をしたり地域の行事参加のことを話す相手みたいに思い出してしまう。でも、いないんだ。どうしようもなく寂しい。

「これは『何がわたくしに出来るか』ではなく、『わたくしが何をするか』という問題ですもの」

看病することも、神域に行くことも、志帆の世話をすることも、普通ならやる立場の女性ではないけれど、自分で決めて、反対されても貫いた。それで、自分にできる精一杯のことをしてよい方向に向かわせた。

浜木綿とは、立場の上では言い争いになるけれど、「主人としてではなく友人としての言葉だ」と「行ってこい、お前はお前らしく、自分の手で、己のさだめを勝ち取ってくるがいい。そして、必ず、無事に戻っておいで」と。そんな浜木綿に「ねえ、浜木綿。子どもを生むことだけが、わたくしたちの生きている意味ではありませんわ」と言って向かった。

子供を生めるかどうかは、いつの時代でも女の心の重荷になるんだ。産んだら産んだで、どう育つかで重荷になる。私も真赭の薄のように、強くありたい。

「私は一体誰なんだ」

次々に己を構成する部分を捨てて、捨てて、捨てに捨てて、今になり、いよいよ山内が危うくなって、慌てて残骸をかき集めてできたなり損ない。

不都合な部分を捨てて忘れて生きていくのは、そのときはいい。危機を回避できて、生活を維持できるのだから。よくいう、「喉元すぎればなんとやら」ということなのかもしれない。それでも、忘れたり切り捨てないとやっていけないこともある。いつまでも悲しみの淵から抜け出せなくなることもあるから。

雪哉だって1年も悲しみから抜け出せなかったんだから。その代償として、「忘れる、捨てる」が必要なのかもしれない。

ただ、一度忘れたらもう過去のことは取り戻せない。忘れたらダメなことは、何度も聞くのはつらいこと。これをどう残していくかというのは大きな課題なんだろうな。だって、耳が痛いことは逃げたいから…。

「誰が、許すものか」

そうだよな。どうやっても許せないことはある。たとえ、自分が泥をかぶるとわかっていても一矢報いたいこともある。ただ、猿をひとくくりにしてしまっていたことは後悔してもしきれない。あの時の小猿は山神がまだ化け物になる前だった。大猿は山神を化け物にして烏に復讐しようとしていた。

「あの時、ああしていればよかった」という分岐点は数えきれないほどある。毎日おこる一つ一つのこともそうだ。さらっと通り過ぎてしまったあの場面を後悔することはある。

それを選んだ自分が、どう進んでいくかしかないんだな。だから「だからこそ、どれだけマシな滅び方が出来るかが、私たちの方にかかっているんです。」と雪哉は言ったのかな。「私が、その秘密ごと、あなたを守って差し上げます。だからその口はー永遠につぐんでおくことだ」とも。

この雪哉を若宮がみて、雪哉のために焚書行った。博陸侯景樹の焚書の意図を悟った。

組織の長は日々こういう決断をしているんだね。「結局のところ統治者なんて、いかにして上手に民を殺すかという仕事だ」なんて奈月彦は長束にこぼしてしまうし。それを見た路近は興味深いというし…。路近ってなんなんだ?

「私にとっては、ただそれだけで十分なんだ」

いろいろ大事なことを考えないといけないということはわかっていても、結局はそういうことなのかもしれないね。

「正直私は、お前が真の金烏だろうが神さまの残骸だろうが、どうでもいいね。少なくともお前は、私の大事な親友で、大事な夫だ」

色々考えて準備をすることは大事だと思う。それでも、準備をしていたからといって回避できることばかりではない。その時がきたら、その時に考えないといけないこともあるんだ。だからこそ、当たり前にある日常を大事に過ごしたい。今を大事にしたいな。

おわりに

第二部へ続くんだけど、どれだけの謎が残ったままなんだ…。何かにつながるんだろうけど、当たり前の日常の一コマが大きな大きな出来事への引き金になっている感じがして、ぞわっとする。

現代の物語ではないのに、今に置き換えられそうな出来事が多くて、思わず考え込んでしまう。それでも、前を向いて進んでいくしかないし、進んでいきたい。

夜はあけるし、朝はくるし、1日は始まるんだ。

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