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月がきれいな夜に、誰かに思い出してほしかった(足りている人間になりたかった)

これは御書印加盟店の本屋さんで購入。子どもの用事で普段出かけない場所のお店で出会った本。

喫茶&本屋さんで、置いてある本はそんなに多くない。でも、たまたま新聞で見て気になっていたこの本に遭遇。コーヒーとレモンケーキをいただきながら読み進め、あっという間に読了。

自分の気持ちを言語化してくれている。インザメガチャーチも自分が信じられなくなるような感じで言語化された気になったけど、これはまた違った言語化。

イン・ザ・メガチャーチ (”物語”ってこんな使い方があるんだ)

自分を振り返る感じではなく、現在、心の奥に押し込めていたものを引きずり出された感じ。誰にも言えなくて、自分で飲み込むしかなかった感情をうまく埋葬していけるかも、していたのかもしれないと思わせてくれた。元カレ埋葬委員会は複数でするからいいんだろうね。一人では厳しい…。私は、脳内で複数人作り出していたのかもしれない…。(これを言語化してしまうと寂しいだけになってしまうが)

でも、読めば読むほどどう埋葬するのがいいのか許可がほしくなってしまう…

わたしは、母親として足りない。母親になりきれなかった

私には突き刺さる一文。私も母親として足りない、だって田舎の長男の嫁なのに跡取りを…。息子が生まれた時に「あーよかった」と言われたことも、「障害?母親が核家族で引きこもってるからじゃないの?」も、大学進学考えていないといったときに「今からがんばれば大丈夫」と言われたことも、ずっとずっとしんどかった。

足りないものをうめるように、いいといわれることをとにかく全力でやった。自分の睡眠不足とか栄養不足なんて二の次三の次。自分を痛めつけて生きてることを確認していた状態だった。でも、もう、楽になりたかった。

自分の心が、なんていうか…。バターみたいになっちゃったような気がするのよ

色んな人に、あちこち削られてるの。はいどうぞ、はいどうぞって自分の気持ちをナイフで削って、子どもや夫や上司や後輩に、譲ってあげるわけ。そうしていると、私の気持ちはちっちゃくなって、どこにもないの。ようやく自分のパンに塗ろうと思っても、バターは残ってないの

まさに!母親になるって、ありとあらゆることを人に譲ること、と。

何かあったときに動けないと困るから、責任あることなんて引き受けられない。仕事にいってないと「結構なご身分で」と言われたこともあるけど、望んで家にいるわけじゃない。みんなコロナで外出自粛のときに「人権侵害」とか言ってたけど、コロナ以前からずっと外出自粛だった私がいくら「人権侵害」って叫んだとしても「自己中」としか言わなかったと思うよ。私、コロナの外出自粛なんて全く苦にならなかったし、むしろ田舎でもテイクアウトができたり、オンラインで楽しめることが増えて快適になったもん。

ほんとに、どろどろになって形のない使えない溶けたバターだ。

足りていない人間から抜け出したいって…

母親として足りていない、売り上げが足りていない、身がよじれるぐらいしんどい経験が足りていない、パートナーがいない。足りていないと解決されるべき人間なのか?

解決するためにがんばれることもある、でも、正解の理由集めをしてしまうこともある。自分の証明のためにわかりやすい言葉がほしいときもある。でも、「怖くても闘うって自分で決めた瞬間からしか、勝負ははじまらないんです」、というように、一歩踏み込んで責任を背負いこむ覚悟を決めないと変われない。それほど、変わるって難しい。

いつ追い出されてもおかしくないと思って生活していたからか、余計に削りまくってたのかもしれない。一度消えてしまうと、取り戻すのは大変だし、元の自分を取り戻すことはもうないと思う。だから、余計に取り戻せなかった部分を足りないと思うのかもしれない。ないものねだりというのは、もしかしたら失った自分のかけらなのかもしれない。

どれだけ言い訳したところで、生きていかなきゃいけないということ

自分の意志とは関係なしに、まえにすすまなきゃいけないということ。

そうなんだ、自分がどう思おうと朝は来る。そして1日が始まる。強制的に1日が始まるからこそ、割り切れることもあるし、逃げられないこともある。割り切れることで救われることもあれば、逃げられないことで苦しくなることもある。どうあがいても、進まないといけないんだね。だから、楽になりたいと思うこともある。

「必死にもがいているところを、ずっと見ていてくれる人が俺にはいるって」足りないものをどうしたら満たされるかわからないともがいているのを見てくれている人がいるって、それって「足りてる」ってことでいいじゃんと。そう自分で決めたから、一歩踏み出せたと。

人それぞれ色々ある。それに折り合いをつけて生きていかないといけないんだけど、決めるのは自分。折り合いってなんなんだろうね。

自分の望む答えを言ってくれそうな人に相談するふりをしても、理由集めばかりで迷いは晴れない。こればっかりはAIも解決してくれないんだよね。

埋葬委員会

誰かの中で足りている人間になれていたなら、その誰かがいる世界なら、生きる価値があるって思える、そんな大それた言い方でなくても、求めてくれる人がいるなら、求められている限りは生きていていいって思えるんじゃないか。

それがわかりやすいのが家族で、結婚がゴールで幸せと思われてしまうのもそれがあるのかもしれない。だって、そばにいてくれる人がいるということだから…。

埋葬したいことは色々あるし、埋葬できずに共存していると思っていることも多いと思う。受け入れようと削ったり溶かしたり、それこそ「がらんどう」で心がでていったりもどってきたりしている。時間が薄くしてくれることもあれば、より色濃くなり決断しない限り呪縛にとらわれることもある。

だからこそ、埋葬委員会のメンバーみたいな人にいてほしいね。言い訳とか、取り繕うことばっかりやってて、逃げまくりの日々を過ごしている気がして、自信も価値も何もなく感じるこの頃だけど…。一歩踏み出したいのかとどまりたいのか、何をどうしたらいいのかわからなくなるけれど、多分、これを自分で決めることが第一歩なのかもしれないな。

おわりに

「推しに捧げたカルボナーラ」の42歳山本さん。今の自分の環境と一番近いこの話に首がもげそうになるほどうなずいた。3号の私はずっと不安で、でもそれをどうにか解決できる道は今のところないけれど、それでも進んでいかないといけなくて、誰かが引き受けないといけない無駄を引き受け続ける。もう、脳内に埋葬委員会のメンバーを募って細々と埋葬していくしかないかな…。

そういえば、一度なくしたものはもとには戻らないって、ちょうど読んでる八咫烏シリーズで直面したとこだよ。

元カレごはん埋葬委員会へようこそ

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