
『無敵の人』という言葉を聞くことがあったけど、『無敵化する若者』とはどんな若者だろうかと興味をもったから手に取ってみた。
我が子もそろそろ「若者」のカテゴリに入っていくし、もしかしたらこういう風に思っているのか?と気になったこともある。ちなみに「無敵の人」とはまったく意味は異なるらしい。
子供の年代がどういう風な雰囲気なのか、どんな世代なのか気になった。
また帯文の『鬼つよメンタルな無敵の20代VS気づかい世代の40代50代』というのも目をひいた。氷河期世代って、若者の時も中年になっても厳しい世代なんかなーと思ってしまった。私は、氷河期世代。
コスパ・タイパ重視
これって、若者に対してなのかなー?社会全体がそうなってると思う。だから「若者が」ってのは違うんじゃないかな?だって、好きなことにはコスパもタイパも関係なくやってると思うよ。
推し活とかそうなんじゃないの?今なんて、スマホ持ってるからいくらでも推しの情報掘れるよね。私の時なんて、インターネッツが(自宅に)なかったから情報を掘ろうと思っても限界があったからねー。
社会人だと、仕事に対してもコスパタイパっていうよね。ちょっとでも時短したいよね。家事だって時短したい。子育てだって介護だってコスパ・タイパって言ってるから色々不具合が出てるんだと思うけど…。
つまり「やらないといけないこと」はコスパ・タイパ重視で「やりたいこと」に時間を注ぐって感じなんじゃないかなー。それは多分、全世代。
「自分は特に贅沢をしたいわけじゃないんで」
若者たちは、今の生活が「贅沢かもしれない」ということは知らないかもしれない。(いつと比べて?もあるし、そもそもそんなの比べて何になる?と言われると思うが)
確かに、我が子を見ていても「もっと〇〇したい」はあまり聞かない。テレビで見ている場所に「行ってみたい」は言ったとしても、〇〇が欲しい、もあまりない。私が高校生の頃なんて欲望の塊だった。
ド田舎育ちの私は、一日数本の満員で座れないバスに1時間以上揺られて高校に通っていた。最終バスは19時。そのバスに乗って帰宅すると20時半を過ぎていた。(バス停からも遠かった)
スマホどころかポケベルも持っていなかった。帰宅途中に買い物することもほぼなかった。高校の近くにあるスーパーの駐車場でコロッケとパックジュースを食べるぐらいだった。映画館も図書館もなかった。だから、とにかく家を出て大学に行きたかった。ポケベルがほしかったし、ゲーム機がほしかった。漫画も買いたかったし映画も見に行きたかった。
「無敵世代は無敵なことに無自覚なのである」と書いてあったけど、そうかもしれない。
でも、私の時だって親世代から「今の子は…」と言われて育った。女が4年制大学に行くなんて親世代からすると驚くことだったし、私の時代でも田舎では少なかった。それでも私は短大でなく4年制大学にこだわった。ただ、氷河期なうえに田舎での4年制卒の女の就職は大変だった。
今の若者が贅沢を望まないのは、すでに満たされているからか望むことに疲れたからかはわからない。でも我が子を見る限り、高校生活を満喫している。自分にはなかった日常がうらやましい。全力で満喫しているんだから満たされていて当たり前かな。
そんな、全力で満喫できている今だったら、今が続けばいいと思って当然だ。応援するぞ!
大切なのは、あなたがどれだけ本音で話せているか
これは、就職活動の企業側の話から。
どれだけいいこと、いい条件を言ったとしても学生から「はいはい」と流されてしまっては意味がない。
確かに、理想論を話されても「で?」と言いたくなる。それは若者だけでなく私もだ。
障害児自立支援協議会というところに行っているのだが、そこでの計画は「へぇー、すばらしいですね」って理想が語られる。実態と違いすぎるので「はいはい」となってしまっている。
生成AIがでてきて「それっぽい」文章が書けるようになった。すごく耳触りが良くて整っている。そんな文章が一瞬で書けるのだから利用して当たり前だ。でも、それだとスッと頭を通り抜けるだけで残らない。もしくは「へぇー」と嫌悪感が残る。
でも、本音を出すのは大変だ。生成AIのように一瞬で出せないから。その生みの苦しみをどれだけ積み上げられるかが大切なんだと思う。今までだったら常に自分で考えていたから当たり前に鍛えられていたけど、楽を覚えると意識して積み上げていかないといけなくなる。
「努力」がネガティブワードになってきたようだが、どこかで積み上げないと自分に自信が持てない。「型は自信と安定を、個性はプライドをもたらす」と書いてあったけど、そうだと思う。
どうしても「個性が大事」といって、地味な「型」を敬遠されがちだ。でも、基本は大事。基本があってこそ、自分の意見が持てると思うから。
スポーツでも勉強でも仕事でも「基本が大事」というのはよく言われること。そして、基本からやるのだけど、基本をやっているときは「なぜ大事か」まで理解できない。ここを根性で乗り切るか、支援をうけて乗り切るかの違いが世代間ギャップなのかもしれないと思った。
おわりに
「若者」というワードにひきつけられて手に取ったけれど、今の「若者」の話であり、自分が「若者」だった時のことも思い出した。たいてい、先生や上司からはどの世代も「今の若者は…」って言われてきた。
それが、社会でちょっと困ったと思われ始めたのが職場において力でどうこうできなくなったからではないかと思う。今までだったら「今の若者は」といいつつ「やれ」と言われてやっていた。ただ、その不具合がでたからか、コンプライアンス重視となり、そういうことは減った。
だから、うまくまわらなくなってきたのではないか。
若者に丁寧に支援したくても昨今の人手不足で自分(中間管理職)が手いっぱいになり、若者の行動まで目が届かない。今までみたいに「とりあえずやっとけ」って言えない。実は、中間管理職に厳しい世なのではないか。
介護問題では、私の時代に女が結婚が遅くなったり同居しなくなったりで、老々介護が問題になっているのではないだろうか。今までだったら「嫁」がやっていたのに…と。
そして、苦々しい思いをしている親世代は多いはずだ。そのために介護保険制度ができて高齢者のサービスはものすごく充実してきた。それでも問題は多発している。
で、職場ではそういう変革はあったか?
確かに、一つのことだけをみたら「問題」になるかもしれないけれど、著者が書かれている通り「価値観のギャップ」。とはいえ、そうはいってもやっぱりイラっとはしてしまうんだろうな…。

価値観の違いって、結構強烈だね
