
先月、文フリ東京41に行くために東京へ行って、せっかくなので東京で御書印巡りをしました。東京の土地勘が全くないので、御書印参加店一覧をみても効率よくまわれない。もう、効率とかおいといて「行ってみたいところ」に行ってみるのが一番楽しい気がする。
ということで、この本は、丸善日本橋店で購入した。ここは、皇居(江戸城)で御城印スタンプを押してから地下鉄で行った。徒歩でも行けたけど、すでにホテルから3キロ程歩いて皇居にきたので、私の脚力は朝から疲弊していた。
服のやつらが中年を拒んできとるよな、Tシャツ似合わんてなんかのたたり?人生ってほぼ中年やん?
平置きしてあったんだけど、表紙見ただけで目が逸らせなくなった。同年代ということもあるのか、いちいち納得。
言葉にしづらかった現象をうまく表現されているので「とにかく誰かにしゃべりたい」現象におちいる。ちなみに、帰りの新幹線で読んだんだけど、しーんとしている車内で「ぐふっ」とか発声しないかヒヤヒヤした。
若者たちの「ちょっと無理できるわたしたち」を感心してあげるのが中年の任務らしい。あきれるのではなく「感心する」。つい、自分に置き換えてしまうけど「感心」するとよいらしい。
そして、「駅でこけそうになったけど持ちこたえられた」のは、若者を感心した報酬と思うことにするらしい。
すばらしい。「よき中年とは」という言葉にもなりそうな感じ。よき中年になろう。
ほんと、年中言ってるし思ってる。その返しが「なかったら裸やで」。
ま、裸ではいないから、ないわけじゃない。
さらにその答えが表紙にも書いてある「服のやつらが中年を拒んできよるよな」
そう、中年の体が服にフィットしなくなったのではなく、服が中年の体を拒むようになったのだ。
中年の体になったことを後ろめたく思わなくていいんだ。服が拒んでるだけ!
そして似合うようになるものもあったらしい・・・。それはシャワーキャップ(笑)
これは、最後に中年の同窓会で中年が漫才をするシーン。
ほんまそう、人生折り返しとか言わんでいい。折り返さんとずっと進んでいっていいんや。これ、ほんまにズキュンときた。
同窓会をマウンティングって言ってみたり、同窓会のその後の心配をしてみたり、幹事さんへのお礼を指南してみたり・・・。ほんま、そうそうそう!って。本と語り合うとはこういうことかと思う本だった。
人生の折り返しとか人生半分終わったとか、どうしてそんなことを言うようになったんかな。50歳くらいって、子供の手が離れ始めて、中年もこれからのことを考え始めるようになるからかな。子供よりも親に手がかかるようになって、生活の変化も大きくなるからかな。いや、自分が老化していって、身体の不調があちこちでてきて不安になりはじめたからかな。
人生の集大成なんて大げさなことを考えてしまうお年頃なんやろうか。
昭和の話題がたくさんちりばめてあったり、今、目の前の親族のなんともいえない温かさと気まずさがあったり、コミックエッセイって初めて買ったんだけど、本当に買ってよかった。何度も読み返してクスッとしてまた前を向こうと思わせてくれるそんな一冊。
そして、シン・知人とシン・知人って言葉を共有したい!

中年に疲れた人に是非。
