
昨年、東京へ行き、神保町で本屋めぐりをした。
一棚一棚に店主のおられる共同書店のPASSAGEでたまたま手に取った本がこの本である。
「一文選書」というテーブルがあった。
本が包まれていてどんな本かわからない状態で積まれていて、一文を想像しながら、気に入った一文の本を購入するというものである。
私が選んだ一文は「ううん。だから戦おう。ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」 この一文で本のタイトルが思い浮かぶ人もおられると思うけれど私はわからなかった。
でも、私はこの世界で生きていかなければならないし、理不尽を感じることがあったとしても、ここで生きていかなければならない。だから戦うんだ。と置き換えることができたので思わず手に取った。
「言ってることと違う」ということは多々ある。法律をはじめとして決まってはいるけれど、でも実際は無理なことは日常茶飯事。福祉や義務教育で喜んだのもつかの間、ということはよくある。それぞれの事情も考えながら、でも少しは交渉という名の戦いを挑んでいる。
そんな日々を送っている私にはこの一文はとても心に響いた。
ほんとはお前、ちょっとはうれしいやろ。
桐島がいないということで、同じポジションの風助が試合に出ることになったときにかけられた言葉。出られることはうれしいだろう。でも・・・、がついてくる。
桐島はいつも、俺の前を歩いていた。だけどその桐島がいなくなって、みちしるべがいなくなって不安になるのか、視界が開けた、とすがすがしく感じるのか、正直、俺はわからなかった。ただ、考えれば考えるほど自分がどんどん嫌な奴になっていくような気がするから、俺は結局蓋をする。
中学生の頃を思い出してこういう気持ちになることがある。当時私は陸上部にいて長距離は4人。大会はだいたい3人出場できた。だから1人は補欠かオープン参加。2人は早くて怪我がない限りメンバー確定、残りの2人がほぼ同じタイム。そのうちの一人が私だった。でも、私はいつも出場できていた。理由はもう一人がぜんそくを持っていて、時々発作を起こしていたので先生がメンバーに入れなかったからだ。
メンバーに入れてすごくうれしかったし、3位の賞状をもらえたこともあった。でも、私じゃなくてももう一人が出場していても賞状をもらっていたと思う。私たちはほぼ同じタイムだったから。せめて私がもっとタイムがよければこんな気持ちにならずにすんだけれど、もう一人と同じような成長度合いでしかなかった。
長距離4人は全員気が付いていたけれど、そこには触れなかった。でも、短距離のメンバーにいわれたことがある「メンバーって決まってるんやろ。だって、〇〇はぜんそくで出られへんやん」と。
そういえば、「もっと〇〇してみたら」「〇〇になってる」って言われていた気がする。「そうはいっても無理やねん」と話してたような気もする。そして、オープン参加で出場できた時に「本番走ったらやっぱり違うな」と言ってた気がする。思い出した。友人はその時に、一気にいろんなことが見えたんだろうな。
人間関係は硝子細工に似ている
見た目はとてもきれいで、美しい。太陽の光を反射して、いろいろな方向に輝きを飛ばす。だけれど、指でつっついてしまえばすぐに壊れるし、光が当たればそこら中に歪んだ影が生まれる。
なんで高校のクラスって、こんなにもわかりやすく人間が階層化されるんだろう
ほんとそう。高3になると、国立文系、私立文系、短大就職専門クラス、なんて感じで分かれていたから、そのクラスの少数派になっちゃったら本当に大変。
うまくグループに入れていても、誰かが告るというイベント発生で一瞬で学校生活が壊れてしまうこともある。高校生活=青春、かもしれないけど、見方によってキラキラしていたり歪んだ影だらけだったり、本当に硝子細工だったんだな。
逃げ場のない高校生活で、勇気を出すなんて本当に大変なことだ。それに進学校だと大学受験もある。最近は推薦入試が多いようだけど、それも椅子取りゲーム。高校生活を満足して卒業できるってほんの一握りかもしれないし、もしくはすべてを「そういうものなんだ」と受け入れて卒業していくのかもしれない。
ねえカオリ、カレーとハヤシライスどっちがいい?
この言葉の裏にどれだけの悲しみやもどかしさやさみしさ、叫びたい思いが凝縮されてるんだろう。
でも、そういう気持ちをこういう何気ない疑問に置き換えたい。それで、自分の叫びたい思いを笑い飛ばしたい。議論したいわけじゃない、笑い飛ばしたいんだ。私はね。
それを「そういうちっさな言い合いからどんどん大きくなってリアルな感じになったんだよ!」って。まあ、ちっさなことが大きくリアルな感じになったと感じるか、大きくリアルなことをちっさく話したのかの違いは大きいな。
そりゃ、私を見てよって言いたい。それで、私はここにおるんよって。
私はここにいる。存在しているって大事なことというか切実なこと。私も私として存在していたい。
一番怖かった。本気でやって、何もできない自分を知ることが。
未来はどこまでも広がっている。違う、出発点から動いていないからそう見えるだけだ。
こんな風に悟れる高校生ってすごい。高校生の時なんて、いや大人になってからも「本気出したらできる」なんて言ってなかったっけ?何もできない自分をもう知ってて、本気でやってることをやってないって言ってるかもしれない。いや、本気になれないだけか?
そもそも、「本気になる」ってどうなってるの?
周りの人の本気の表情や行動にイライラしなくなった時が、本気になってる時なのかな?
誰かのことを応援できて、自分がやりたいことができる状態って本当に幸せで貴重なんだな。
おわりに
結局、「ううん。だから戦おう。ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」この言葉は本にはなかったと思う。
調べてみたらどうやら映画で出てくる模様。映画と本は細かなところはあったりなかったりするけれど、色々見ていると「映画も見てみたい」と思えた。
文庫本の解説では映画の監督が解説を書かれている。19歳の作者が同年代の気持ちをここまで書くことの驚きが書かれてあった。ほんとにそう思う、だって1,2年前には自分もその現場にいたわけで、その時の気持ちを言葉にするってすごい覚悟が必要な気がする。そして、その1,2年でコート内での気持ちとコート外での気持ち、どちらも描き出されているところにぞわっとした。
ひかりが振り返って、俺を照らした。
それを感じたからこそ、動き出せたのかもしれない。
そして、「ううん。だから戦おう。ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」と思えるのかもしれない。