先日、お役所の方に「いつか子供が生きがいって言えるようになりますよ。」って言われたんですが・・・。これって普通みんな思うようになること?
親からの期待が大きすぎてしんどい。
とは違うかもしれませんが、子供は親に「あなたがすべて」って言われるとしんどいって思いそう。「おかんうざい」とか言ってくる子供に「お母さんはあなたが全てだからそんなこと言わないで」なんて言うとこじれそう。最近はそうでもないのでしょうか。
だからといって、無関心になるとか完全放置とかではありません。適度な(精神的)距離でお互いを尊重した生活がみんなにとってよいと思いますが・・・。
障害があっても、親離れ・子離れって必要じゃないかな・・・。
子供に障害や病気がある場合、子離れしにくい感じがします。子供のサポートをずっと親がしているので変化するタイミングがありません。でも、たとえ障害や病気があっても子供は成長し、「おかんうざい」って思う年頃になるのではないでしょうか。
「おかんうざい」をうまく伝えられない、親がうまく汲み取れないことでトラブルがでたりしないのかな。こういった気持ちの変化は障害や病気があると見過ごされてしまうのかな。
子供が生きがいで、子供が成人しても二人三脚で行きていくのもいいと思います。でも、みんなそうなるべきでもないと言ってほしい。
常に母が寄り添って生きていくのは、最善のサポート&愛情が受けられる。でも、これは母が肉体的精神的に老化?退化?しないことが必要。どんどん成長していく子供の身の回りの世話をするにはかなりの体力が必要です。(重くなり力が強くなりますから)
二人三脚で暮らしている場合、ある時突然母が入院したり死亡した場合、残された子供はどうやって生きていったらいい?親が倒れたら、その時も二人三脚で同じ道を辿る?。
親が倒れ、ある時突然今までの生活が失われ、見ず知らずの人や場所に放り込まれた子供は混乱して当たり前。私は、そうなるのを避けたい。
だから、小さい頃からデイサービスやショートステイを元気な時に時々利用する。その場で色々な人に覚えてもらい、子供もそこに慣れていくために。いきなり預けられても知っている人や知っている場所だと混乱もしにくいと思うから。
色々な施設を利用していて、子供は強くなってきたと思います。体力的にも精神的にも。自宅での生活だけだとどうしても真綿でくるんだ生活になりがちです。(きょうだい児がいると意外とハードですが)実際、ここ1、2年は時間外に病院へ行くこともなくなりましたし、入院もなし。時間外どころか、定期検診以外で病院へ行くことすらなくなってきました。強くなったものです。
そんなところに「子供が生きがい」って言えるようになりますよ。
なんて言われたら・・・。外から見たら、私の生活は子供中心で子供のために尽くしているようにみえるかもしれません。でも、実際は「こどもが全て」ではありません。こどもにのめり込むとどうしても見返りを期待してしまうのです。私はそうはなりたくない。子供に〇〇ができるようになってほしいと、どうしても期待してしまう。
その期待が大きくなってきたら自制のタイミング。
本を読んだり、図書館に行ったり、ちょっと子供のことを強引に忘れるようにします。子供のことを見守ることも必要だから、そのバランスがとても難しい。
なんだかグジグジしてしまいました。自分が不安定な時に刺さる言葉をもらうとどうしても不安定感増します・・・。
子供は大切だしかわいいです。でも「全て」かって言われたらそれはちょっと・・・。これってダメな親なのかな。せっかくのいい気候なのに、心はドロドロな日々です。
高齢者がデイサービスやショートステイを利用されるように、子供も利用できるのが一般的になるといいな。