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ハナヒラのあたまの中〜少数派の子供達との生活〜

乳幼児健診・就学時健康診断でひっかかったらどうする?いっぱい泣いて、いっぱい悩んで一歩ずつ進んだり立ち止まったり振り返ったり・・・。

比較されて気になったことから、思考が飛びまくりました。

先日、地区のイベントがありました。

発達障害の子供と一緒に出席しました。開始時間と終了時間は分かっていましたが、それ以外の予定がわからない中での参加だったので、見通しも立たず親子共々ドキドキしました。

 いつ「行かない」「帰る」等々言い出すかわかりませんし・・・。

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 イベントスタート

 無事にスタートしたものの、食事&ビンゴゲームの予定。ビンゴゲームがいつ始まるかわからないので、そわそわして落ち着かず、食事もままならない。

時間も気になり、周りの人に「いな何時?」を繰り返す。なんとも、しんどい時間でした。とりあえず、スマホを渡していつでも時間が確認できるようにしていました。時間がわかると少し落ち着く場合が多いのです。(時計がない会場だったので)

とある親子の行動

 実は、同じテーブルに未就学児でかなり激しい子がいました。

大声を出したり、食べ物で遊んだり、と親泣かせな行動の子供さん。同じ地区とはいえ、学年が離れているので知りませんでした。(名前は知ってましたが性格を)

 

我が子は得意の外面の良さで、お澄まし。

「◯◯さんは綺麗に食べてちゃんとしてる。うちの子はもうダメで」

「もう、アホなことばっかり言うので」

「もう、◯◯さん見習わな」等々、

我が子を持ち上げていただいたのはありがたいことでしたが(不機嫌だったのが褒められて機嫌もよくなってましたし)、ただ、自分の子供をすごく卑下されているのが気になりました。

 典型的な日本人って感じなのですが

素晴らしい時、その子の素晴らしさを何かと比較して讃えることがあります。比較するものとの差が大きいほど素晴らしさが引き立ちます。

それに自分の子供を使ってしまうのです。

日本人、謙遜しますから・・・。

 

でも、これってのちのちやっかいなことにもなるのです。

以前、こちらの記事でも紹介しました。

 

www.hanahira.net

 

もしかしたら色々と配慮の結果だったかも

よく、ニュースを騒がせている「子供を注意しない親」関係などありますが、

確かに、全く注意をしない親もいます。

でも、その「注意をしない」状態を「選んで」いるのか「放置」なのかはわからない時もあります。

大声で注意をすると、周りの人へ「注意している」アピールはできますが、子供には逆効果でさらにひどくなる場合があります。なので、その場を一番マシな状態で乗り越えるには「声をかけない」の場合もあるのです。

確かに、非常識なことをしていて注意をしないのは周りからみて気分がいいものではありません。(こういう時の親の態度が問題ということなのかな・・・)

親だって申し訳なくて今すぐ消えたい気分になることなんて日常茶飯事です。

我が子を持ち上げてくれた保護者さん。あれが一番穏便に済ますことだったのかもしれません。そして、もしかしたら我が子の不穏な空気も感じてくれていたのかも・・・。

 親は子供が公衆の面前で非常識なことをしないため努力の日々です

 家庭で「していいこと」「だめなこと」を教えたり、療育へいったり様々なことをしています。でも、「なんとなく」身に付けることができる健常児と違って、一つ一つ身につけていかないといけない子供は何事にも基礎が出来上がるまで膨大な時間がかかります。それまで、外出しないわけにもいきません。(実際体験することで理解しやすいです)

ただ、優先順位をつけるため、本来なら注意するところを後周しにしていることは多々あります。まずは、命に関わること、自分の思いを出すことから重点的に取り組んでいます。(我が子は、お箸の持ち方やえんぴつの持ち方は壊滅的です。でも、ご飯を食べること、思いを出すことを優先し、本人ができる方法でやることを優先しました)

子供は大人のズルをよく見ている

子供は大人の行動をお手本にしています。

でも、大人はよく「ズル」をします。

そのズルを子供がすると怒られることが多いです。「ズルしちゃダメ」と。

そして、もしかしたら「大人になったらズルをしてもいいんだ」とか「ばれなければいいんだ」と思ってしまうかもしれません。

大人だって、聖人君主ではない。

でも、せめて子供に「してはいけない」と日頃から言っていることは、子供の前ではしないようにすることは必要かと思います。

年長者を敬うということ

「年長者を敬う」ことは当たり前のことでした。(アラフォー世代)

特に、中学生の時には先輩後輩は厳しく、部活動の時には雑用は1年!!でした。でも、先輩方は雑用はしませんが部員をまとめ、後輩に対してダメなところはダメと厳しく注意をしていました。もちろん、先輩は手本になるべき行動をとられていました。

おそらく、「いい先輩」に恵まれたので全く理不尽なことはなく「各自、やるべきことをやる」と自然に思えました。だって、先輩方はリーダーシップという大きな責任を果たされていましたから・・・。今は、全員で後片付けも準備もするらしいですね。

 

我が身を振り返ると、そうした中学生の時の先輩のようになれているか大いに疑問です。子供たちに、ダメなことはダメだと注意できているか?

中々、地区の子どもたちと接する機会はないけれど、プール当番やラジオ体操当番、登校立ち番・・・などで、年に数回「見守り」の当番がまわってきます。

その時には、ダメなことはダメと注意できる大人になりたい。

数年前にプール当番で、ルールが守れていない地区の子供に注意をしたことがあった。ふざけていたけれど(当時1年)、かまってほしいオーラも感じた。その後、おふざけがすぎて怪我をして・・・。

「あーハズレの当番だったー」と当時は思ったけれど、おかげさまで地区の子供に顔がしれたので、何かあった時は頼ってくれるようになった。

これは、我が子を守ることにもつながるかもしれないと思う。

 

まだまだ、「いい大人」にはほど遠いですが、子供たちから「信用できる大人」「何かあったら言いにいける大人」と思われる人になりたいなと思います。

子供たちはストレート。でも大人からは残酷にみえることもある

大人になって、空気を読むことが必要となりすぎて、でも、何が正解かわからなくなってきて、とりあえず関わらないことが無難になってきたこの頃。私は、恥ずかしながらそんな感じです。

もともと、空気読むのが苦手で失敗も多いので・・・。

 車椅子に乗っている人をみて「なんで歩けないの?」と聞けますか?

大人は車椅子の人をみて「なんで歩けないの?」と聞けますか?

色々事情があるのだろうと「あえて」聞かないことが多いのではないでしょうか?仲良くなってきたら聞くこともあるかもしれませんが、自分から話してくれるのを待つことが多いでしょう。

でも、子供は「なんで歩けないの?」と聞けるのです。

私は、初めて園児に「〇〇ちゃんは、なんで歩けないの?」と言われた時に「病気だから歩けないの」と答えました。すると「ふーん。早くよくなるといいな」と園児は言いました。これに対して、先生からは「すみません。子供はストレートで」と謝られました。

この経験から、先生には「子供の質問は当然のことです。他の子が聞いてきたら答えてあげてください」と言っています。

大きくなるにつれて、空気を察して聞きないのに聞けなくなっていきます。その時に、「知らないまま」大人になっていってほしくないのです。

 それからは、園児の間でもタブー視されることなく普通のこととして過ぎていきました。知らない子には知っている子が教えていました。

個人情報の難しさ

「聞いてもいい」「教えてもいい」と思っていても、今は意思表示をしないと難しいこともあります。今回の「歩けないのは病気のせい」というのは、先生からすると「個人情報」に値するから勝手に話していいことではない判断されると思います。

なので、事前に保護者から「聞かれた時は、園児でも園児の親でも話していい」と伝える必要がありますし、保護者も気軽に障害について話をする必要があります。

先生が、園児の個人情報をペラペラ話していると他の親が思って、園の体制が疑われるようなことだけは避けなければいけないことです。

車椅子がメガネと同列な感覚になる日を願って

もちろん、車椅子とメガネは値段も重さも取り扱い方も全く違うので、そう意味では同列になることはありません。

でも、「目が見えにくいからメガネをかける」「歩けないから車椅子に乗る」という理由づけは同列の感覚になれるのではないかなと思います。

ただ、メガネを落として困っている人にメガネを拾ってあげることは簡単にできると思いますが、車椅子から落ちた人、落ちそうになっている人を助けるとなると、不安があります。

いや、だって、私、障害児を育てていますが、助けられるかどうか不安ですから。不安な理由は、「何か余計なことをしてしまったらどうしよう。自分ができるだろうか」です。

私が手を出したことによって、悪い結果がもたらされたらどうしようと。

 

だからか・・・。

してほしいことをお願いすることは上手になってきたと思います。

色々とお手伝いしてくれる人は多いです。なので、「これはお願いしたい」「これは、大丈夫」と伝えられるようになってきました。 

当たり前のことかもしれませんが・・・。

でも「これは、してもらわなくていいから」というのは中々伝えにくいのです。だって、せっかく「してあげる」って言ってくれているのですから。

でも、「これはいいから、こっちをお願いしたい」というほうが多分いいのだということもわかってきました。

まとめ

なんだか、イベントの話だけを書こうと思っていたのに、あちこち思考が飛びまくり長くなってしまいました。多分、3〜4つに分けて書いた方がわかりやすかったんだろうなと思います。

でも、書き出すと頭が少し整理されたような気もします。

とりあえず、子供に障害があることで視野が広がったことは確実です。色々と支援を受けている身なので、ほんの少しずつですが何かできることをしていきたいなと思います。

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