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ハナヒラのあたまの中〜少数派の子供達との生活〜

乳幼児健診・就学時健康診断でひっかかったらどうする?いっぱい泣いて、いっぱい悩んで一歩ずつ進んだり立ち止まったり振り返ったり・・・。

できることと、できないこと。

バリアフリー、ユニバーサルデザイン等、障害者でもスムーズに利用できることが増えているこの頃ですが、時々「ありがたいけど、そうじゃないねん」ということもなきにしもあらず。

全てのことを同じように!なんて望んでいるわけではないのですが、時々「同じようにしなければならない!!!」と頑張ってくださる時もあって、ありがたいやら申し訳ないやら・・・。そんな気持ちを綴りたいと思います。

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発達障害児の場合

色々な困難さがあるので一概にいえないところが余計に複雑にしています。

友達と遊ぶのが大好きな子、一人が大好きな子。

両極端に見えますが、どちらも発達障害と診断されている場合があります。なので、どちらかのみの知り合いがいたり、知識があったりすると、どんな子にもその対応をされる場合があります。

例えば、休み時間などの自由時間。集団が苦手なので少し離れたところで一人でいると、「みんなのところに行こう、その方が楽しいよ」と連れて行ってくれる場合などです。

連れて行かれる時に、腰が引けたり、行きたくないそぶりをすると「大丈夫、一生に遊べるように話してあげるから」と言ってくれます。

本人にとっては「自由時間」は自由に過ごしたいわけで、あえて一人でいたのに、苦痛である集団に放り込まれた状況です。

ただ、連れていってくれた方からすると、一人で遊んで寂しそうだったので、集団で遊べるように手助けをした状況なのです。

こういった行き違いって、善意からくるものなので辛いです。

ただ、本当は一緒に遊びたいのにモジモジしてお誘いを待っているパターンもあるのでまた、ややこしい。

いつも集団、いつも一人がいいというわけでもない

他にも難しいのが、一人でいるのがいつもいいってことではないことです。

自分に置き換えるとわかると思いますが、一人がいい時と、友達と一緒がいい時と状況によって違いますよね。

そういった感覚が子供でも障害があっても持ち合わせていることを忘れないようにしたいものです。

身体障害児の場合 

例えば、肢体不自由の場合。移動が困難な場合が多いです。なので、無理なことは無理で割り切ってもいのではなかと思っています。

どこにも一緒にいくのがいいこと?

健常児と同じ園や学校に入学すると、社会見学や遠足など校外学習があります。校内で行われる運動会や発表会は「できる範囲」のことをしていますが、校外学習になると一気にハードルがあがります。

それは、行く場所によってバリアフリーの環境ではないこともあるからです。

私の中では、行けるところには行って、行けないところ(バリアフリーの施設ではないなど)は行かなくてもいいと思っています。

社会見学でよくある「県庁、市役所見学」はバリアフリーの施設なので一緒に行けたらいいなと思います。でも、「登山、城見学」というようなものは無理です。(大阪城はいけそうですが・・・)

そして、行けない時は、みんなで「なぜ一緒にいけないのか」を考えてみたり、帰ってきてから「どこまでなら一緒にできたか」などを考える時間が持てたらOKではないかと思ってしまいます。そしたら次の機会に「ここまでなら行けるんじゃない?」という話になるかもしれません。

一緒に生活するために支援の優先度を考える

ものすごく無理をして一緒に行動しても、辛い経験と大変さだけが記憶にのこりそうなので、「車椅子の人がいると大変」という感覚だけが残りそうです。

その時に、車椅子の本人は何が優先順位が高かったかを考えるのも大切です。

意思表示ができる人なら比較的スムーズと思いますが、意思疎通が難しい場合は迷うところです。

そんな時はどうしても「みんなと一緒がいいはず」と思いがちですが、それは自分でもそうですか?自分が思うように体が動かせない時に、ちょっと大変だけどみんなと一緒に行こう!と思う時もあれば、そこまでして行きたくないよ。と思う時もあるでしょう。

自分の感覚と同じように想像したり、普段から意思疎通ができるように色々なものを試したり、日頃からコツコツと支援たりすすることが優先順位上位かなと思います。

私が思う大切なこと

どんな人でも、できることとできないことはあります。

そんな時、「できない」「しない」の選択をすることはダメなことをしている感覚に陥るかもしれません。でも、「しない」ことはダメなことではないと思います。

だって、しない方がいいときもありますから。

それよりも、みんなが「どうしてできないのか」「どうしてしないのか」を考える機会を持つことが大切ではないかと思います。

「話し合い」「ディスカッション」というものです。

そこから、「しなかった」「できなかった」場合、じゃあ、どういうことならできるか?という代わりの選択肢を考えることができるようになったらいいなと思います。

そうすることで、「色々なことで困っている人がいるんだ」ということを知る機会になればいいなと思います。

 

実は、私、恥ずかしながら、子供が園で注文するハサミに左用・右用があるのをみて初めて左利きの人は左利き用のハサミがあると知ったのです。

左手で右用のハサミを持つと切れないんですね。

知らなかったです。(あー恥ずかしい)

身近に左利きの人がいなかったんです。

これって、身近なところに障害を持つ人がいなかったから知らないんですっていうのと似てませんか?

2017.2.14毎日新聞コラム発信箱より

「春を待つあなたへ」というコラムにいい言葉がありました。

2020年東京五輪で、野球の審判を務めたい「夢」があるスリランカ人のスジーワ・ウィジャヤナーヤカさん。高校で青年海外協力隊の日本人に野球を教わりスリランカ代表選手になる。日本に留学するもそのレベルについていけず退部。失意の中で審判講習会に誘われ、働きながらキャリアを積んだ。そして、昨年日本の「国際審判員」21人に食い込んだそうです。そのかたの言葉です。

「人間」という漢字が好き。「人間は『人の間』にいる。一人じゃない。だから頑張れる」

「僕の強みは、できないこと、知らないこと。言葉も技術も周囲よりもできないと自覚していたから、知っている人より見えもプライドもなくどこにでも飛び込めた。浴びることすべてが新鮮だから、いつも夢中でいられたんです」

 

 この言葉を読んで、自分がいかにプライドが高く、知らないことを恥じていたかを思い知らされました。 スジーワ・ウィジャヤナーヤカさんの言葉を言い訳せずに脳裏に焼き付けたいと思いました。

 

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